給与コンサルタントの草分けとして

 賃金管理研究所の創設は1960年。

 日本最初の戦略コンサルティングとしてボストンコンサルティンググループが日本法人を設立したのが1966年、マッキンゼー&カンパニーの進出は1971年。P.F.ドラッカーが「現代の経営」を著した後、初来日したのは1959年でした。

 

 そうした、日本で「コンサルティング」という概念さえ無きに等しかった時代に、給与コンサルタントの草分けとして、合理的な賃金・人事評価制度の活用を提唱したのが当研究所・創始者の弥富賢之でした。 現在、給与/人事分野で数多くのコンサルタントが活躍されていますが、その多くの源流は”弥富式”と呼ばれる当研究所の考え方にあります。

 

ホンダの賃金制度整備が原点

 当研究所の原点は、ホンダの賃金制度整備です。

 

 弥富賢之が人事院に勤務し、労働関係の仕事に携わっていた頃、ホンダの藤沢専務(当時)が賃金相談に訪れました。会社規模が拡大する中で、労使関係が悪化したことが理由であったようです。そこで弥富は近々、著書として公にする予定であった賃金制度の理論と技術を藤沢に伝えました。

 

 その後、弥富は本田宗一郎から直接に請われて、1953年に本田技研に入社。本田宗一郎は日頃から社員に「自分が幸福になるように働け」と語りかけていましたが、社員が自主的に動く組織を作る弥富の理論と共通するものを感じたに違いありません。
弥富はそこで自らの理論を現場の運営の中で改善・進歩させ、同社の賃金制度の基礎を築いてホンダを退社。「社員のやる気を引き出す賃金制度」を企業に普及させることが自らの使命として賃金管理研究所を創設しました。

 

創業者 弥富賢之について

賃金管理研究所創立者。1941年東大卒。人事院給与局格付課長、公平局職員組合課長を歴任。
1953年、本田技研工業に迎えられ、業績を伸ばす「新職能給」制度を確立し”世界のホンダ”の基礎を築く。その優れた賃金管理システムを導入しようと、当時、本田技術研究所取締役であった同氏に、直接指導を請う企業が増加。1960年、賃金管理研究所を設立し、4000社以上を指導、超優秀企業を数多く育てる。
主な指導会社に、本田技研をはじめ松下精工、西友ストア、富士ゼロックス、全日空、早稲田大学、凸版印刷などあらゆる業種業態におよんでいる。
             主な著書に「社長の賃金経営学」「正しい賃金の決め方」「精鋭組織の作り

             方」「人事評価」「賃金決定の実務」(以上日本経営合理化協会刊)、はじ

             め多数の実務書がある。2008年4月逝去。