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「退職金制度は今後も有効活用すべきです」

 退職金にかかる源泉税の計算において、勤続20年以内の場合は「40万円×勤続年数」の金額を、同21年超の場合は「800万円+70万円×(勤続年数-20年)」の金額を退職所得から控除できます。したがって、大卒22歳で入社した社員が定年60歳まで勤務した場合(38年間)、退職所得から2,060万円控除できる計算です。しかし、控除額が勤続21年超から年70万円に引き上げられていることが、労働市場における人材の流動性を硬直化させる一因であるとして、政府は税制改正を検討しました(制度改定により不利益変更となる人への対応が必要となること等を踏まえ、当面の間は税制改正しない方向で決着しました)。
 では、世間の退職金の支給相場はいくらぐらいなのでしょうか。厚生労働省「就労条件総合調査(令和5年)」によると、令和4年に勤続20年以上で定年退職した者に支給された退職金の平均額は、大卒・大学院卒(管理・事務・技術職)1,896万円、高卒(管理・事務・技術職)1,682万円、高卒(現業職)1,183万円でした。学卒の違いによる金額差に加え、同一の学卒間でも職種により大きな差が生じています。
 今度は、対象を中小企業に限定した調査を見てみましょう。東京都産業労働局「中小企業の賃金・退職金事情(令和4年版)」によると、定年時のモデル退職金(学校を卒業後、すぐに入社した者が普通の能力と成績で勤務した場合の退職金水準)は、大卒1,091万、高卒994万円となっています。大企業も含まれている厚生労働省の調査結果と比べると、同一の学卒で約6割の金額に留まっており、従業員規模の差が退職金支給額にも大きく影響していることが分かります。
 これらの調査結果を見てお分かりのように、もし仮に税制改正が実施されていたとしても、退職金の手取り額に影響が出るのは大企業の社員だけであり、国内の全雇用者数の約7割を占める中小企業の社員にはほとんど影響しない話だったため、政府が期待した人材の流動化にただちに繋がることはなかったでしょう。
 ところで、今回の税制改正案が話題になった際、お客様から「中小企業は退職金でも大企業に見劣りしているのだから、いっそのこと退職金制度を廃止して、その分、月々の給与を引き上げた方がよいのではないか」というご相談を受けました。例えば、大卒入社後、勤続38年で定年60歳を迎える社員に退職金1,000万円を支給する会社であれば、単純計算で月額約22,000円(1,000万円÷38年÷12か月)を毎月の給与に振り向けるということです。しかし、退職金制度を廃止することは本当に得策なのでしょうか。
 もしも、わが社の給与水準が周辺企業と比べて著しく低く、社員が日々の生活に支障をきたすようなレベルなのであれば、退職金制度の前に給与水準の引上げを優先すべきかもしれません。しかし、給与が低水準にないとすれば、退職金制度は存続させるべきです。なぜなら、給与と退職金では支給する目的が大きく異なるからです。
 退職金は、社員の長年の勤続を労い、退職後の生活費用をすべてカバーできないまでも、その一助となるよう支給するものです。そしてこの将来への安心感こそが、長期勤続に対する社員のインセンティブとなります。経営者としても、社員に長く勤めてもらい、事業発展により多く寄与してほしいと考えるのはごく自然なことであり、そのための方策として退職金を準備することは理にかなっています。一方、給与は定期昇給制度が長期雇用へのインセンティブではあるものの、支給自体は将来ではなく現在を捉えたものになります。
 また、人事戦略上の観点からも、大企業が退職金制度を設けている以上、中小企業が先に退職金制度を廃止してしまうのは危険です。たとえ月例給与を引き上げたとしても、将来への安心感の部分で就労条件の差がさらに開いてしまうからです。
 日銀が異次元金融緩和の出口戦略を視野に入れ始めたことも、退職金の準備面で会社にとってプラス要因となるでしょう。会社の安定的な発展には社員の定着、長期雇用が不可欠です。今後も長期雇用のインセンティブ策として、退職金制度を有効活用していくべきなのです。
チーフコンサルタント 高橋 智之

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