私たち賃金管理研究所では、過去1年半にわたり、「賃金戦略」や「戦略的ベースアップ」などの言葉を意識的に使用してきました。
経営者や人事担当の皆様には、「給与制度」や「給与規程」などの言い回しはごく普通に使われていると思いますが、改まって「賃金戦略」などというと、やや違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。
「大企業とは異なり、昇給やベースアップについては、必要に応じて対応してきたのが実際のところで、“戦略”という言葉には実感が湧かない。」
「戦略的ベースアップとは、例えば5年先を見据えて賃金カーブを上げていくための準備と意識を持つべきだということは理解できる。しかし、コロナや急激な物価上昇などの現実を考えると長期的な賃上げは難しい。」
そのような想いの方も、少なからずいらっしゃるでしょう。
だがしかし、いまこそ考えなければならないことがあります。
人手不足感が高まるにつれて、新卒採用ばかりか中途採用で良質な人材を確保することも、ますます難しくなっています。それに伴って、採用賃金も着実に上昇してきています。大卒初任給として25万円以上の金額を支給する会社も珍しくなくなっています。
また、これまでにもコラムで取り上げてきたとおり、最低賃金の急激な上昇も看過できません。政府は2030年代半ばに1,500円達成を目標に掲げましたが、連合は2035年までに1,600円超えを目指す方針を固めています。今後も、昨年と同様に最低賃金は40円以上(月額6,400円以上)の上昇が予想されています。
賃上げを取り巻く環境は、一昨年までとはガラッと変わってしまいました。
今後、必ずや最低賃金と採用初任給は上昇していきます。最低賃金が1,600円なら、1,600円×160時間=256,000円が月額ベースでの最低賃金です。中小企業であってもこの条件は変わりません。
昨年からの大幅な賃上げへの転換点の到来は、まさに“パラダイムシフト”と呼ぶにふさわしいものです。パラダイムシフトとは、価値観や時代の転換点。この30年近く、定期昇給+1%未満のベアで良かった賃上げの流れが、最低賃金付近では4%、一般社員の平均で3~4%引き上げることが好ましいとされる新たな時代に突入することを意味します。「何とか1年1年を乗り切ろう」という場当り的な対症療法では、追いつかないのです。
したがって、人事戦略、特に賃金面では経営視点に立った対応が求められます。総額人件費のコントロールも総合的な経営計画に沿って行わなければなりません。もし、総額人件費はこれ以上増やせないと判断したのなら、「時間外勤務等の費用を削減する」「一人当たり生産性を高める工夫」「設備投資による生産力増強」「人員の削減」などを検討しつつ、平均給与自体は引き上げる検討も必要です。
これが、私たちがいう「賃金戦略」であり、それは経営戦略と一体となっています。急ペースなベアが難しいとすれば、現時点からみて5年後、10年後の賃金水準に関する目標を立て、段階的に賃金カーブの調整・引上げを行なうこと、これが「戦略的ベースアップ」の指向するところです。
今年の干支は、甲辰(きのえたつ)で、躍動と発展の年とされています。これは適切な企業努力が報われるという意味で、賃金管理にも当てはまる真理だと考えられます。
所長 大槻 幸雄